またまた鏡でございますm(__)m
人は自分で次の人生の課題を設定して来世へ生まれてくるというようなことを「生きがいの創造」飯田史彦著で知りました。
※生きがいの夜明け⇒
http://www.nnet.ne.jp/~edison/mylife/NO3_5.html
先日は、ある方から、人間の年齢と同じように、人生の年齢レベルにあった人それぞれの課題を背負ってこの世に生まれ、その課題をクリアしないと次の年齢にあがれないと教えていただきました。
自分がいる現在の環境は、自分にとっての学びの場であり、気づきの場であり、自分の周囲にいる人は今の自分に足らない部分を気づかせてくれる役割で存在しているということでした。
今の私は何歳なんだろう?
私の周りの人達は何歳なんだろう?
例えば、「どうして、あの人は自分が言うことを素直に聞いて行動してくれないのだろう」と思うときがあったとします。
それは、「あの人」の問題ではなく、「私」が「あの人」の立場に立って考えず行動しているということに気づかせてくれるために、ずっと「私」に対し、発信し続けているということでした。
つまり、「私」に足らないのは、『相手の立場に立って考える』ということなんだそうです。
私が私がと、自分ばかりを優先した自己中な行動をとり続けているよということだそうです。
こういう事に気づかなければ、この「あの人」に対するマイナス的思いはどんどんエスカレートし、「あの人」も「私」もお互いにストレスを抱え続けて生きていかなくてはなりません。
そうではなく、「私」が人間として足らない部分を教えてくれるために、わざわざそういう行動をとってくれているとすれば(役割を果たしてくれているとすれば)、まぁ、ほんとにそれは「感謝」に値する存在へと変わりますよね・・・・(^_^;)
いや~、なんか認めたくはない部分もありますが・・・・。
昨日の今日で、自分の気持ちをそう簡単に切り替えることは簡単ではありません。
が、「あの人」の役割を日々客観的に見ていくと、少しずつ受け入れていくことができそうな気もします。
そして、「感謝」を心からできるようになったら、「私」の現世の人生課題のうち一つはクリアしたことになるのでしょうか・・・。
『あなたの成長を邪魔するのは他の誰でもないあなた自身だ』
と誰かが言ってました。
アラフォーになり、二児の母になり、人生のいろんな経験をしていってますが、案外身近なところで、自分自身が、突き詰めるとそれは自分のエゴのために、相手を沢山傷つけたりしていることがたくさんあるんだろうな・・・と反省させられました。
ほんと、「あの人」ではなく、「私」が相手の立場にたってどう行動しているかですね。
会社では、「社員が」ではなく、「私が」となるでしょうし、家庭では、「主人が」「子供が」ではなく「私が」となりますね。
なかなかすぐに変われない自分がいますが、意識して「私が」で生きていきたいと思います。
そして、できるだけ沢山の心からの「感謝」ができる(言える)人間になりたいです。