おはようございます。
鏡でございます。
昨日は、仕事初めで、東証が新システム導入後初の営業となったとどのニュースでもいっておりました。
ものすごく早くなって、売買手続も、取引状況確認も、瞬時にできるようになり、株式市場の活性化が
図れるか・・・ということでした。
私たちは忘れてはいないでしょうか?
なぜ今、このように苦しい社会になったのかを・・・。
小学生が学校給食で命を繋がなくてはならない現実を決して見逃してはいけません。
(年末、全国放送のニュースで取り上げられた内容です。)
両親がリストラに遭い、住む家を維持することで精一杯で、食事は一日一食。給食だけ。
小さな妹に唯一の食事(茶碗1杯の米飯のみ)を我慢して譲り、朝から学校では空腹でフラつき、保健室通い。
見かねた保健室の先生から渡された、前日の給食のパンと牛乳をがっついて食べる小学生。
明らかに、他の同級生より痩せ細っている。
また、ある小学生は、「家のご飯は腐っていて食べたくない。臭いの嫌い」と言って、やはり保健室に通う子。食事は一日一食。給食のみ。
「お母さんは、炊飯器のスイッチを入れていた?」と、先生から聞かれると、「ううん」と首をふる。
教育の場である学校が、子どもたちの命を繋ぐ場となっている現実が今、平成の今、経済大国日本で存在しています。
飢餓で苦しむアフリカの話ではありません。
戦後の物資が少ない時代の話ではありません。
何の罪もない、何も知らない子どもたちが、将来の日本を背負っていく子どもたちが、大人たちのマネーゲームの被害者となっているのです。
拡大、拡大、利益、利益、お金、お金・・・
得ても得てもなお追求する企業の犠牲者になっているのは、大人だけではないんです。
私たちは、教訓を得たはずです。
なのに、このまま昨日の東証のニュースの件を、景気回復への足がかりとしていいものだろうか、また日本は(世界は)過去の過ちの方向に向かってはいないかと不安になってしまいました。
だったら、誰がこの流れを止めてくれるのだろう?
誰が?
企業としての本来の存在意義を今一度確認すべきではないでしょうか。
自分が、その仕事をやる上での存在意義を。
コンピューターの前で、クリック一つでお金を稼ぐマネーゲームに、社会的な存在意義がどの程度あるのか・・・。
ある一部の関係者だけのエンドレスな利益追求に実態はなっていないか・・・。
そこはもう、誰からのストップも効かないのでしょうか・・・。
経営者の気持ち一つで、誰かの生活が守られます。
経営者の気持ち一つで、誰かの生活が奪われます。
経営者には、責任があります。
重い重い責任があります。
『自制』
何に対する自制かは、人それぞれ、経営者それぞれにあると思います。
誰も自分を止めてはくれません。
経営者(企業)である以上、社会に対する責任を果たす“義務”があります。
一人一人が、本来の存在意義や自己実現の追及をする中で、現在ある資源や人々との関係を大切にしながら、過度な追求にならないよう『自制』を心がけるべきだと感じました。
そうです。
まぁ、いわゆるecoかもしれませんね。
周りの環境に与える影響もしっかりと自覚しながら、長く長くみんなでその効果を共有していくことができればいいのに・・・。
私たちは、一人ではないのだから。
確かにお金は大切です。利益も大切です。
しかし、前述のような現実がある日本が(私たちが)果たして本当に幸せを感じれるのでしょうか?
私も2児の母です。
子どもに犠牲がくることが何よりいたたまれません。
経済が発展し、物やサービスが溢れ、インフラ整備が進み、ITも進化し、私たちは便利な住みやすい社会を目指してきたはずなのに、今や大人ですら生きていくのに苦労する社会を形成してしまった日本。
今の日本に『自制』が必要ではないのか?
今は冬休みです。
ニュースで知ったあの小学生達は今どうしているだろう・・・。
とても心配です。