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Posted by おてもやん at

2010年01月15日

『役割』



おはようございます。鏡でございますm(__)m


今日の言葉は、『役割』です。

やく‐わり【役割】
1 役目を割り当てること。また、割り当てられた役目。「大切な―をになう」「自分の―を確実に果たす」

2 社会生活において、その人の地位や職務に応じて期待され、あるいは遂行しているはたらきや役目。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]


人はみんな『役割』をもっているといわれますが、そういうことを真剣に思ったきっかけになったのは、飯田 史彦著「生きがいの創造」という本を読んでからです。



自分がどういう環境の中にいるかで、その都度『役割』も変わってきます。
家庭の中、職場で、学校で、それぞれ自分の『役割』があります。
このことをいつも意識して行動できればいいのですが、つい忘れてしまいます。
また、自分が担っている『役割』を正しく認識していないと、意識や行動に繋がりません。


経営者という存在にある人はどういう『役割』を担っているのか。
特に中小企業の経営者は、社内にその『役割』を転化できない場合が多いので、営業から財務管理から社内教育、商品開発とその領域は深く広く広がっています。
改めて思うと、経営者は大変です!
これをずっとやり続けていかなくてはいけません。

大変です!
だから、社内でその『役割』を自分と一緒に担ってくれる人をつくらなくてはなりませんね。
この『役割』の転化って果たして上手くできているかな・・・って時に思うんです。


また、役職や部署が社内にあることに、経営者自身が安心して任せっぱなしになっていないかな・・・とも思います。


『役割』に「意識」「信念」「理念」「方針」などがプラスされなければ、本当に担っていることにはなりません。
本当の意味での『役割』を経営者として自覚し、社内に伝承していきたいですね。



人は、社会における自分の『役割』が認識できると、そこに意欲ややりがいが生まれてきます。
その『役割』を仕事を通じて認識してもらう努力を私たち経営陣が『役割』の一つとしてやっていく必要があります。


愚痴を言ったりする前に、そういう事が自分自身の中できちんとできているか、自分に問うていきたいと思います。



  


Posted by せいじつ会計 at 12:27Comments(0)本日の言葉

2010年01月14日

『追求』




こんにちは、鏡でございますm(__)m


本日は『追及』です。


私はいつも自分の関心のあること、特に仕事は『追求』してしまいます。
たまに、自分でその性格が嫌になるときもあります。
自分で自分を苦しめているな・・・とか、こんなことしてどうなる?とふとわからなくなるときもあります。


若いときから、いくつかのもの(事)を『追求』してきました。
それは、「人」と「仕事」と「遊び」です。


「人」に対しては、自分が「この人だ!」と思う人にはずうずうしくも喰らいついていっていました。今思うと・・・。また、自分と波長の合う方、本音で会話できる方には、真正面からぶつかっていったり、いろんな事に相談に乗ってもらったり、叱咤激励されたりと私の人生にこれらの方々が大いに影響しています。
今も長~いお付き合いをさせていただいています。
ホントに感謝感謝です!!

「仕事」に関しては、自分が納得いかないと気持ち悪くて眠れないので、わかるまで、納得いくまで、職場に残って調べ物をしたり、先輩等に聞いたりしていました。
まだこの業界に入って間もない頃、何もわからなかった私ですが、気性の荒い経営者の奥様に文句を言われながら、泣かされながらも、喰らいついて質問に答えていただいたり、取引の流れを確認したりしていました。
沢山失敗をしてきました。
沢山泣いてきました。
沢山悔しい思いをしてきました。
沢山恥ずかしい思いをしてきました。
まだまだですが、でも今思うとホント良い思い出です。
まぁ、それなりに揉まれて、今やこんなにも図太く打たれ強い前向き人間になりました(^_^;)

おかげで、今の仕事は私にとっての“天職”だと確信し、人生の進むべき方向を定めることができました。


遊びも、『追求』というかのめり込んでしまうというか・・・(^_^;)
過去に『追求』したものは、
①ビリヤード・・・高校時代流行ったんですよねー、今はダメですよ!
②魚釣り・・・イカすくいから、ダゴチン釣り、投げ、サビキ、船釣り、磯釣り、堤防釣りなどやりました。でも女性はやっぱり船や磯はあんまり・・・ですね。独身時代は、毎週のように行ってました。吹雪いているときも根性で頑張ってました!(周りからは、バカと言われてましたけど・・・)腕前は全然ですが、真夏の晴天の日に缶ビール片手に黙々と“無”の状態で堤防釣りするのがいいですね。あと、夜釣りした後、朝方現地で具沢山の味噌汁を作って食べるのも最高です!!おいしいんですよ!屋外で食べると。釣りをするようになって、魚を触れるようになったし、下手くそなんですが、魚をさばけるようになったし、魚を食べれるようになったし、魚の料理ができるようになったし、“虫”(ゴカイや朝鮮虫といってミミズみたいなもの)を触れるようになったし、良いことばかりです!!主人とも魚釣りが縁で出会いがあったし・・・・。最近は、出産してなかなか本腰入れてできないので、子どもが大きくなったら家族で行きたいです!!主人の退職後は、釣りの全国行脚を二人でするのが夢の一つでもありますエヘッ
釣りの話はこの辺で終わらせますね(^_^;)
③キャンプ・・・キャンプ大好きです!!オートキャンプも大好き!!ホテルや旅館もいいですが、キャンプはお得だし、子どもたちにもとっても良いし、自然の中での生活が心が平穏になってストレス解消に最適です!もっともっといろんな所でキャンプしてみたいです。



皆さんは何か『追求』していること(もの)ありますか?



『追求』していくと、いろんなもの(事、人)が整理されていくというか、自然と淘汰されていくように思います。『追求』していくと集中するからでしょうか?余計なことに振り回されなくなるからでしょうか?
自分の中で『追求』することにより、少しずつ少しずつそのことが確立されていくようです。


だんだん年とってくると、あれもこれもとはいかないし、関心を持つものの数も絞られてくるし、そもそも体力気力的にできないし、それで良いと自分自身納得いくし、時間を無駄に過ごしたくないし、掘り下げていくほうが自然のように思います。





皆さんは何を『追及』していますか?



  


Posted by せいじつ会計 at 13:25Comments(0)本日の言葉

2010年01月08日

『無縁社会』




こんばんは。鏡でございますm(__)m

最近、夜のNHKニュースで『無縁社会日本』というテーマで、特集がシリーズ化されて放送されています。
ご存知の方もおられるかもしれませんが、その初回放送を見てショックを受けたので、本日の言葉は、
『無縁社会』です。


現在、単身化が進んでいるのだそうです。
特に団地では。

ある団地を取材してあるのですが、そこは入居者の3割が単身世帯でした。
“独居老人”“孤独死”という言葉は最近では珍しくはありません。
中高年男性の単身化が進んでいるそうです。
また、働き盛りの中年男性の単身化、突然の引きこもりなども増加しているとのこと。


この放送を見て、『無縁社会』は、命の安全をも脅かすんだということを知りました。



単身化が進む団地の住人(単身世帯中年男性)へのインタビューで、とても心に突き刺さった言葉がありました。
「人との繋がりを失ったら、自分が社会に存在していないことと同じ」という言葉です。


正直、今の私は、この方の辛さがどれだけのものかがわかりません。
“人との繋がりを失う”ということが、私にとっては非現実的だからです。
考えられません。

身近なところで、「家族」「親族」「職場」「仕事関係」「学校関係」「ご近所、町内関係」「子どもの学校や習い事関係」「かかりつけの病院」「良く行く定食屋」「近くのお弁当やさんのおばちゃん」「異業種交流会のメンバーの経営者さん達」「昔の職場」「古い知人」「福岡へ研修に行った時に使う駐車場のおじちゃん」などなど・・・・。

改めて挙げてみると、こんな私でもこんな沢山!
と驚くほど“繋がり”はあるのに、『無縁』ということが信じられません。


なんで、『無縁』になってしまったんでしょうか・・・。


「誰も電話をしてこない」
「手紙も1通もこない」
「誰も尋ねてもこない」
「足腰が痛くて外出できない」
「リストラに遭って、収入が途絶え、離婚し家族との連絡もとれなくなった」
「知人に頼んで1週間に1度、自分の安否確認のために電話をしてもらっている」
「室内に長時間人の動きがなかった場合に通報するセンサーを設置している」
「孤独で、不安で、自殺未遂を何度もした」
「夜寝るときは、家の鍵は掛けず、チェーンを切れば部屋に入りやすいよう、チェーンだけにしている」

など、人との繋がりを失った人達の現状が放送されていました。


この映像を見た有名な映画監督さんは、
「“絆”は面倒くさいもの。まず、それを理解すること。しかし、それを乗り越えて人間関係を築いていかないと、“絆”は生まれない。」
と言ってました。

確かに!
私もそう思います。
人付き合いは面倒なときもあります。
私の周りでも、人との繋がりを持つこと(維持していくこと)を面倒くさがっている人も多くいると感じます。

今の現状を思うと、昔から日本にある慣習は人との繋がりを維持することそのものではないかと思います。
昔の人々は、“人”を“絆(縁)”をとても大切にしていたんだなぁと思います。


油断すると(自分の感情のままに生きていると)、自然と『無縁社会』の住人と化してしまうのかもしれませんね。
人は、人として生きていくために、“繋がり(縁)”を持つことを“努力して”いかなければならないのかもしれませんね。


命にも関係してくるんですね。
人との繋がり、『縁』は・・・。


私たちは、また新たな社会問題を認識しました。
『無縁社会』という言葉があり、そこの住人が存在することを・・・。
将来は、もっと単身化が進むということでした。
その住人たちを、私たちと同じ社会に呼び戻し、また新たな住人となる人が出ないよう、考えなければなりませんね。


『縁』を“求めて”いきましょう!



ある住職が言われた言葉です。
「私たちは、あらゆる『縁』に包まれている。」
「ただその人の人生に対する燃え方によってどの『縁』と結びつくかが変わってくるのではないか。」


私も、同感です。
いろんな『縁』が沢山自分の周りにあると思います。


熊本でも、『無縁社会』は存在しているのでしょうか・・・。


『縁』を自己の利益のために利用する人もいますが、『縁』は人々の生きる力にもなっているんですね。
やはり「人は一人では生きていけない」ということなんでしょうか。


『縁』、“繋がり”をこれからももっと長く大切にしていきたいと思いました。






  


Posted by せいじつ会計 at 01:27Comments(0)本日の言葉

2010年01月05日

『自制』~その1~



おはようございます。
鏡でございます。


昨日は、仕事初めで、東証が新システム導入後初の営業となったとどのニュースでもいっておりました。
ものすごく早くなって、売買手続も、取引状況確認も、瞬時にできるようになり、株式市場の活性化が
図れるか・・・ということでした。

私たちは忘れてはいないでしょうか?
なぜ今、このように苦しい社会になったのかを・・・。

小学生が学校給食で命を繋がなくてはならない現実を決して見逃してはいけません。
(年末、全国放送のニュースで取り上げられた内容です。)
両親がリストラに遭い、住む家を維持することで精一杯で、食事は一日一食。給食だけ。
小さな妹に唯一の食事(茶碗1杯の米飯のみ)を我慢して譲り、朝から学校では空腹でフラつき、保健室通い。
見かねた保健室の先生から渡された、前日の給食のパンと牛乳をがっついて食べる小学生。
明らかに、他の同級生より痩せ細っている。

また、ある小学生は、「家のご飯は腐っていて食べたくない。臭いの嫌い」と言って、やはり保健室に通う子。食事は一日一食。給食のみ。
「お母さんは、炊飯器のスイッチを入れていた?」と、先生から聞かれると、「ううん」と首をふる。


教育の場である学校が、子どもたちの命を繋ぐ場となっている現実が今、平成の今、経済大国日本で存在しています。

飢餓で苦しむアフリカの話ではありません。
戦後の物資が少ない時代の話ではありません。

何の罪もない、何も知らない子どもたちが、将来の日本を背負っていく子どもたちが、大人たちのマネーゲームの被害者となっているのです。
拡大、拡大、利益、利益、お金、お金・・・
得ても得てもなお追求する企業の犠牲者になっているのは、大人だけではないんです。

私たちは、教訓を得たはずです。
なのに、このまま昨日の東証のニュースの件を、景気回復への足がかりとしていいものだろうか、また日本は(世界は)過去の過ちの方向に向かってはいないかと不安になってしまいました。

だったら、誰がこの流れを止めてくれるのだろう?

誰が?


企業としての本来の存在意義を今一度確認すべきではないでしょうか。
自分が、その仕事をやる上での存在意義を。


コンピューターの前で、クリック一つでお金を稼ぐマネーゲームに、社会的な存在意義がどの程度あるのか・・・。
ある一部の関係者だけのエンドレスな利益追求に実態はなっていないか・・・。

そこはもう、誰からのストップも効かないのでしょうか・・・。



経営者の気持ち一つで、誰かの生活が守られます。
経営者の気持ち一つで、誰かの生活が奪われます。

経営者には、責任があります。
重い重い責任があります。


『自制』

何に対する自制かは、人それぞれ、経営者それぞれにあると思います。
誰も自分を止めてはくれません。


経営者(企業)である以上、社会に対する責任を果たす“義務”があります。


一人一人が、本来の存在意義や自己実現の追及をする中で、現在ある資源や人々との関係を大切にしながら、過度な追求にならないよう『自制』を心がけるべきだと感じました。


そうです。
まぁ、いわゆるecoかもしれませんね。

周りの環境に与える影響もしっかりと自覚しながら、長く長くみんなでその効果を共有していくことができればいいのに・・・。

私たちは、一人ではないのだから。



確かにお金は大切です。利益も大切です。
しかし、前述のような現実がある日本が(私たちが)果たして本当に幸せを感じれるのでしょうか?

私も2児の母です。
子どもに犠牲がくることが何よりいたたまれません。

経済が発展し、物やサービスが溢れ、インフラ整備が進み、ITも進化し、私たちは便利な住みやすい社会を目指してきたはずなのに、今や大人ですら生きていくのに苦労する社会を形成してしまった日本。

今の日本に『自制』が必要ではないのか?




今は冬休みです。
ニュースで知ったあの小学生達は今どうしているだろう・・・。
とても心配です。










  


Posted by せいじつ会計 at 04:50Comments(2)本日の言葉